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表紙
平和のこころ
ごあいさつ
はじめに
目次
ホテルテイトでの東京クラブチャーター・ナイト。チャーターメンバー56名、うち20名が外人であった。
ライオンズクラブ結成のため、マニラからやってきたジョージ・バレネンゴア氏はソフト帽が良く似合った
チャーターナイトの時のエピソード
1952年8月27日、東京クラブ例会はロバート・D・マーフィ米駐日大使をゲストへ迎えて
国際協会発行の英文ライオン誌
来日したサーカス団員を訪ね、獅子馴らしの手ほどきを受ける東京クラブの面々。これも獅子道の神髄を得る手段の一つ
5年間に43クラブを結成
横浜クラブは安産だったが、会員の脱落が相次いだ。急造バナーは苦闘クラブの誇り
バ・特別代表と塩原有・東京クラブ幹事を迎え神戸・へちまくらぶでの結成準備会。これがライオンズ全日本制覇の口火に
1960年2月16日、東京・羽田に着いたデービス第一副会長は、9日間にわたって、東京、福岡、大阪、名古屋を回った
11年目に早くも世界2位の座
1963年4月、東京国際理事会を前に来日したロービル国際会長は、京都、熊本を訪問した。写真は大阪・伊丹空港での歓迎陣
1958年2月に来日したスターム第一副会長は、16日、福岡を訪問。歓迎記念としてガン研究費50万円が贈られた
1955年5月「子供の心と心身の糧の為に」のスローガンを採択した神戸大会
1955年5月「302地区第1回年次大会」(神戸)開催
1958年度から東西2地区に分割され、第6回大会は新潟市と広島市で、この大会で「ライオンズの誓い」を採択
1962年4月8日、東京・千駄谷体育館の10周年記念大会には、4地区から1万名が参加した
ライオニズムの浸透と地区組織の整い、『ライオンズ必携』発刊(1963年7月)
1960年9月9日、京都会館で行われた第1回クラブ幹事研修会、村上薫・前地区幹事が司会した
出席が友情を培い奉仕に
『ライオン誌』日本語版創刊号(1958年7月、4,500部)
石川欣一~ライオンズ・ローア秘話
1964年、大阪府・貝塚クラブの会員はたすきがけで街頭に立ち、学童の安全補導とあわせ交通整理ビラを市民に配布した~スローガンの果たす役割
1962年、北海道・札幌クラブでは学校所在警戒標識40本を会員の手で建てた。「交通安全のために」がこの年のスローガン~スローガンの果たす役割
1965年、スズラン給食から完全給食実現へ(岩手県北上高地)
1968年6月、札幌で開かれた第14回302日本複合地区大会(3つのアクティビティー)
1968年、沖縄のハ氏病新患者は144人を数え、1万人に20人の患者が野放しにされているとさえいわれた
那覇市に完成したスキン・クリニック。このほか医療機器が贈られた
宮の森シャンツェ近くに建てられた「日本ライオンズ青年の家」はユースホステルとして今も青少年たちに利用されている
会員増強よりも維持に重点を-ライオンズクラブ25周年記念アルバム
分割に分割を重ねてきたが-ライオンズクラブ25周年記念アルバム
出典:ライオン誌1983年8月号別冊創刊25周年記念『写真で見る日本ライオンズの歩み』